大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和61年(う)904号 判決

本籍

兵庫県小野市本町二二三番地の四

住居

神戸市垂水区多聞町小束山八六八番地の二五六

医師

藤原弘久

昭和一二年一一月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六一年三月二八日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人及び被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 山中朗弘 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人森智弘作成の控訴趣意書記載のとおり(但し、第一の一の(三)の1の末尾の「理由不備というほかない。」との記載は事実誤認の一事情として述べるものである旨釈明した。)であり、これに対する答弁は検察官山中朗弘作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官の被告人に対する質問てん末書を有罪認定の資料としたが、右のうち、昭和五六年六月三日付質問てん末書は、税に全く無知な被告人が、査察調査の意味も、その結果の理解も認識もせず、診療所へ行って患者を診察することも許されないといった尋常でない調査にろうばい、驚がくする状況下で、自己を防禦する能力も気持ちもないまま、査察官の高圧的な誘導に迎合して作成されたもの、同年一一月二二日付質問てん末書は、その後の経緯から、事の重大さをおぼろげながら感知し、査察官に対して、事実を明らかにしようと努め、真実を述べたが、被告人の主張はある程度録取されたのみで、肝心な部分で事実をわい曲した記載がなされたもの、同年一二月二四日付及び昭和五七年一月一四日付各質問てん末書は、さきに、平井税理士を解任して新たに依頼した宮尾税理士から、「このままでは某病院の院長同様逮捕されることになる。この状態で行くのなら手を引かせてもらう。」と言われ、自己の家族及び患者のことを思い、虚偽の供述をしてでも、逮捕を免れようと思いつめ、宮尾税理士の助言に従って、査察官の誘導に迎合して作成されたもの、検察官に対する各供述調書は、真実を主張すれば、逮捕という事態になることを恐れ、査察官に対すると同様の供述を繰返すしかないとの心理状況下で、検察官の誘導に迎合したものであって、その各供述の経緯と心理的側面を検証すると、その内容が虚偽であることが明らかな右質問てん末書及び供述調書は不任意の自白というほかなく、また、被告人の妻である藤原恭子の検察官に対する供述調書は、全く思いもよらない本件査察で、夫と共に査察官の厳しい取調べ、追求に会い、全く予期せぬ事態に驚がくして極度の不安感に襲われ、不眠症に悩まされてしょうすいし、精神的にも肉体的にも疲労困ばいした中で検察官の取調べを受け、査察段階から共犯者呼ばわりされ、夫が逮捕されるかも知れないという不安感などにさいなまれる、といった精神状態の下で、検察官に対する恐怖心から、そのどう喝、誘導に迎合したものであり、誰はばかることなく、真実を卒直に吐露した原審公判での供述と比較すると、特信性がないものであって、被告人及びその妻の各供述調書等は、いずれも排除されるべきであるのに、これらに証拠能力を認めて有罪認定の証拠とした原判決には採証手続上の法令違反があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって検討するに、まず、被告人の右供述調書及び質問てん末書についてみると、被告人は原審公判廷において、右所論に沿う供述をしているが、他方では、査察着手当日である昭和五六年六月三日付質問てん末書につき「当日は朝から雑談的に税金のこととか、そのほか一般的なことをいろいろ話しているうちにそのようなふん囲気になってしまった気がする。」「どちらかと言えば、雑談しながらですね、比較的和気あいあいと、調書を取られた。」「雲行きが怪しいとか、お互いに突っ掛り合いするとかじゃない。」と述べ、その後の第二回目以降の査察官の質問てん末書については「調書を取られ署名をする前に内容が違うと言い、これを取り上げてもらって一部書き直してくれた部分もあった。その他の部分は内容はともかくとして、ニュアンスが違うから私は気に入らなかった。しかし、その文章をまた最初から書き直すのも大変なことになり、時間もかかるので、まあ、これくらいにしとこうじゃないかということになった。」「白と言っているのに黒と書いてあるわけじゃない。」「査察の人からきつく言われてはない。」と供述し、検察官に対する供述調書についても、「いろいろいきさつもあったけれども、結局そういうことであれば、やむを得ないという自分自身の気持ちで最終的には調書に署名した。」「調書に署名すれば、それはもう当然不利益になるであろうことは分かっていた。」「早く終わってすっきりした気持ちで患者さんの診療に当たりたいと、基本的にそういうふうに思っていた。」旨供述していること並びに、被告人は原審公判廷において、捜査段階では、宮尾税理士及び検察官あるいは査察官らから、本件事実を争えば、某病院の院長同様逮捕される旨のニュアンスの発言があったため、逮捕をおそれてやむを得ず虚偽の自白をした旨の供述をしているが、被告人のこの点についての原審での供述部分を仔細に検討すると、どの時点で、誰から、具体的にどのような発言があったかについてはあいまいである上、その供述内容はその都度転々として前後一貫しないところがあって、これを直ちに措信することはできないこと、ひるがえって、被告人の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官の被告人に対する質問てん末書についてみると、その内容は具体的かつ詳細で、自然でもある上、捜査官においては、あらかじめうかがい知ることができない被告人の心情あるいは身体状況についての供述等も記載されていることなどの点に徴すると、被告人の捜査段階での自白が、その任意性を疑うべき状況下で作成されたものとは認められない。

次に、藤原恭子の検察官に対する供述調書の特信性についてみると、同人は被告人の妻であって、被告人とは一心同体の立場にあり、本件犯意を争う被告人の面前で、殊更に被告人に不利な供述をすることは心情的に困難であると考えられ、実際にも、同女の原審公判廷における供述内容には常識的にみても不自然、不合理なところがあって、明らかにそうした態度が看取されるに対し、右検察官に対する供述調書の内容は脈絡もあって自然であり、被告人との会話の内容、心情にも触れる部分もあって、その特信性を十分に肯認することができる。

したがって、原審の採証手続には所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人に所得税ほ脱の犯意があったとして、公訴事実のとおりの事実を認めたが、(1) 被告人は診療で多忙である上、経理にもうといので、税理士である平井新佐(以下平井という。)に依頼して被告人方の決算、税務事務の一切を委任し、資料等もすべて同税理士に託していたので、同人において適正な確定申告をしていたものと信じていたもので、過少申告がなされていたことは全く知らず、いわんや、同人に過少申告を指示したことなどはなく、したがって所得税ほ脱の犯意はなかった。(2) 本件各年度の所得金額算出の基礎とされた諸経費のうち、接待交際費、減価償却費、福利厚生費、諸会費、新聞図書費については、原判決の認定した額は余りにも低きに過ぎ、右認定額以外にも多額の支出があった、というものである。

しかしながら、原判決挙示の対応関係証拠によれば、原判示各事実は、いずれも、所得税ほ脱の犯意の点を含めて優に認定することができ、原判決が右事実認定に関し、弁護人の主張に対する判断の項において説示するところも正当であって、その結論に合理的疑いをさしはさむ余地はないのであるが、以下、所論にかんがみ、主要な点につき説明を付加する。

一  所得税ほ脱の犯意について

原判決挙示の関係証拠によれば、昭和五〇年度から、被告人の依頼により、昭和五六年七月一日まで被告人方の税務、決算事務を担当していた平井は原審証人として、「毎年三月一五日の少し前、被告人方に所得計算書(租税特別措置法二六条による所得標準率によるものを含む)、月別一覧表、青色申告決算書などを持参して、被告人にこれらを示し、所得額とこれに対する税額等を説明していた。被告人からは、『所得をそのまま申告すると、未だ年も若く、開業して未だ日も浅いのに、須磨税務署管内の医師のうちで高額所得者となり、垂水の医師会内部でとやかく言われるおそれがあるので、所得額を昭和五三年度については四、二〇〇万円前後、昭和五四年度については四、八〇〇万円くらいで申告して欲しい』旨の指示があり、租税特別措置法二六条の所得標準率で計算すると、所得額は、被告人の指示する右金額を上回るので、収入の一部を除外し、仕入や諸経費の水増しをするなどの操作をした上、青色申告するほかなかった。そこで、右方法により所得額を過少に計算し直し、その額を被告人に連絡した後、内容虚偽の所得税確定申告書を税務署に提出していた。昭和五五年度についても、右同様、被告人から同年度の所得額を五、三〇〇万円くらいで申告して欲しい旨の依頼があったが、昭和五五年一〇月ころ、税務署から、さきに未提出となっていた被告人の財産債務明細書を提出するよう指示があり、いずれ近い内に税務署の調査が行われる可能性もあって、平井としては、昭和五五年度の本来の所得額は一億三、六〇〇万円くらいの計算になるのに、これを被告人が言うように、五、三〇〇万円で申告するのはあまりにも差額が大きいので、被告人に対し、『一寸危いんじゃないですか。低過ぎてやりにくいですね。今年は税務署の調査もあると思われるので一億くらいにしておいた方がいいんじゃないですか。』と言ったが、被告人は、『ばれもと(註、ばれてもともとの意味)でいきましょう。』と言うので、平井はこれに従って保険診療収入の一部除外、経費の水増し等をして、結局、被告人の指示額に見合うよう所得額を過少に計算した所得税確定申告書を作成したものの、税理士としては自信を持てないので、同申告書の作成者署名欄には自己の署名はしないまま、税務署に提出した。なお、右の各年度共、申告書提出後はその年の三月末ころまでに申告書の控を被告人方に持参して報告している。したがって、本件各年度とも、過少申告は被告人の指示に基づくもので、私が勝手にそんなことができるはずがない。」旨供述し、弁護人の厳しい反対尋問に対しても、平井は終始右趣旨の供述を維持している。そして、平井の下で毎月の収入及び経費の集計を担当していた久保田栄美子も原審証人として、平井の右供述と符号する供述(殊に、被告人は収入が増えたことで困っており、所得番付が本に載るのはかなわんとも言っており、租税特別措置法二六条によって計算しても、所得額が高いから税金を納められないと聞いていたこと)をしており、右両名の供述には何ら不自然、不合理な点は見当たらず、また、殊更虚偽の供述をしているような節もなく、いずれも十分に措信しうるものと思料される。

のみならず、被告人自身も捜査段階においては、平井に対して過少申告を指示した旨所得税ほ脱の犯意を認める供述をしており、捜査段階において作成された被告人の供述調書及び質問てん末書の任意性を疑うべき何らの事情も認められないことは、さきに認定したとおりであって、右供述調書及び質問てん末書の内容は前記平井らの供述と符合(ただし、昭和五六年一一月二二日付質問てん末書は、当日持病の尿路結石の発作があったが、注射で痛みを押えて国税局に出頭し取調べに応じたこと及びその前日医道審議会が、脱税等をした医師に対し、免許取消等の処分を決定した旨の新聞報道があり、精神的に動揺していたことなどから、説明があいまいで舌足らずであったというのである(被告人の検察官に対する昭和五七年二月一八日付供述調書)から、これを除く。)しており、その信用性を否定すべき何らの理由もなくこれに反する被告人の原、当審公判廷における供述は、右平井らの供述と対比すると、措信することはできない。

なお、所論は、大蔵事務官の被告人に対する昭和五六年六月三日付質問てん末書には、「税理士から私の所得は一億以上になると聞きながら、五五年分については五、三二六万六、〇〇〇円しか申告しておりません。五四年分についても正味は一億円くらいはあったと思いますが、四、八三四万九、〇〇〇円しか申告しておりません。五三年分も四、二七九万五、〇〇〇円しか申告してないとのことですが、やはり所得を二分の一以下にしていると思います。」「垂水区で一位の医師の申告所得が一億円、二位が八、〇〇〇万円で三位が六、〇〇〇万円くらいですのでその下のランクくらいになるように、すなわち、毎年の所得を四、五〇〇〇万円見当に少なくしてもらうように税理士に依頼しました。」との記載があり、また、被告人の検察官に対する昭和五七年二月二三日付供述調書には「五三年から所得が急に増えて二億円くらいだろうと思っておりました。そして仕入れと経費については年によって大きな変動もなく、八、〇〇〇万円程度と思っていましたので、所得としては、一億二、〇〇〇万円くらいと考えておりました。また、平井さんから報告の際、一億円以上の所得だと聞きました。しかし、当時垂水区で所得額一位の医師の申告所得が一億くらいで、二位で八、〇〇〇万円くらい、三位で六、〇〇〇万円くらいでしたのでいきなり私が一位、二位にランクされれば何を言われるかわからないと思いました。」「五三年分をいくらにするかについて、平井さんとやりとりした記憶があります。具体的に平井さんと、どういうやりとりをしたか、よく覚えておりませんが、最終的には私が申告所得額については、四千二、三〇〇万円くらいでお願いしたいというように言ったと思います。実際の所得は一億円くらいでしたから、その半分以下の所得で申告することになるとわかっておりました。」との記載があり、同記載の所得額は、いずれも租税特別措置法二六条を度外視した金額であって、およそ医師であれば同条の存在を知らぬ筈はないのに、これを抜きにした右供述は著しく信用性を欠く、というのであるが、関係証拠によれば、被告人の昭和五四年度の所得額は、租税特別措置法二六条一項(ただし、当時のもの、以下同条については、それぞれの当時のものによる。)によっても一億近くあり、また、昭和五五年度においても、同条による算出額でも一億以上あったことが認められるので、右質問てん末書及び供述調書中のこれらの年度に関する記載は、いずれも正当であって、その信用性をとやかくいう何らの理由もない。もっとも、昭和五三年度分については、平井の計算による同条を適用しての算出額は五、九〇〇万円余となるので、右質問てん末書及び供述調書中の同年度の所得額についての記載は、同法による計算によれば正当でないことになり、これに関する被告人の供述部分は、取調べ官に対し、やや迎合的な面もうかがえないではないが、未だ、これをもって、右質問てん末書及び供述調書全体の信用性を否定すべきものとは認め難く、所論は採用の限りではない。

しかして、右平井らの各供述並びに被告人の右供述調書及び質問てん末書等によれば、被告人の本件所得税ほ脱の犯意を認めるに十分である。

二  諸経費の額について

関係証拠によれば、各年度の申告書に計上された諸経費(ただし、架空計上されたものは除く。)は、久保田が毎月一度被告人方を訪れ、その都度、被告人あるいは、その妻から、小切手の控、当座の照合表、普通預金からの振込票の控、普通預金通帳の写等の資料の提供を受け、その支払金額毎に、使途、支払先等を確かめ、更に年度末の申告時には、領収書のない諸経費の有無をも確かめて振分け計算し、これらを各経費として計上していたこと、しかしながら、国税査察官において、押収物件及び関係先への照会等によって収集した資料に基づいて調査した結果、税務署へ提出された本件各年度の所得税青色申告決算書中の、売上原価のうちの仕入金額あるいは経費欄の各金額中に、架空仕入、経費の水増しが計上されていることが判明したほか、久保田において、必ずしもすべての資料の提供を受けていなかったことによる経費の計上洩れ、あるいは久保田において提供された資料における金員の支払先、使途の確認不十分に基因する経費の振分けの誤り等も判明したため、査察官において収集した資料に基づき加除修正を行って、これらの額を確定したこと、所論の接待交際費、減価償却費、福利厚生費、新聞図書費、諸会費等も、このようにして、その額が確定されたものであるが、接待交際費については、査察官において、差押え物件の検討及び平井に対する質問調査等の結果判明した架空計上額を減額した(昭和五三年分)ほか、申告書計上額(昭和五四年及び昭和五五年分)は、その内訳が不明なため、査察官においてこれを否認し、これらに代えて、百貨店から提出を受けた確認書及びクレジット会社からの照会回答書の写を被告人の妻藤原恭子に示して、その支払額中、医院の贈答品で必要経費となるものと、個人の生活費となるものを区分させ、必要経費となるものを計上洩れとして認容したこと(昭和五三年ないし昭和五五年の各年分)、なお、現金支払いの経費については、査察官から藤原恭子に対し、「領収書がなくても、医院の用事で学会へ行った費用あるいは慶弔の出費も医院の経費となるので、申告洩れの経費として認められるものがあれば、認める。」旨簿外経費があれば、その明細を提出するよう促し、同女及び被告人において思い出せるものはすべて書き出させ、これらについては、計上洩れの雑費として追加補正されたこと(各年分)、減価償却費については、決算に計上された同費用(各年分)は、その償却資産の原価が明らかではないので、査察官において、関係工務店、自動車販売会社、医療機器の販売元等に照会、調査するなどしてその原価を把握し、所定の償却率によって算出したもので、結局、不足額を計上洩れとして追加計上(昭和五三年及び昭和五四年分)、レントゲン機械の耐用年数を法定期間六年より短期の四年とし、償却費を過大計上したものを減額補正したこと(昭和五五年分)、福利厚生費については架空計上分及び事業主勘定とすべき被告人の家族の海外旅行分を減額補正(いずれも昭和五三年分)、計上洩れを追加補正したこと、(昭和五四年及び昭和五五年分)、新聞図書費については書籍の購入契約のみで未購入分(昭和五三年分)及び架空計上分(昭和五四年及び昭和五五年分)を減額補正、現実に購入した書籍代金額を計上洩れとして追加補正したこと(昭和五四年及び昭和五五年分)、諸会費については、医師会に納入された全額が計上されていたが、そのうち事業主勘定とすべき生命保険掛金等を除き、書籍代を正当勘定に振り替えるなどして確定したものであること(昭和五三年ないし昭和五五年の各年分)、そして、国税査察官が右調査により算出した額について、被告人は、捜査段階において、「医薬品の仕入れは、私が小切手を振り出してきたので、支払金額から見ても調査書は正しいものです。消耗品、外注工賃等に分けて調査されていますが、これらも調査書のとおりです。また、買掛金、未払金についても調査書のとおりです。」(昭和五六年一一月二二日付質問てん末書)、「大蔵事務官作成の「事業主貸の調査」と題する査察官調査書の内容を検討したところ、医院の経費にならないものばかりで、この調査書の金額に間違いありません。」「藤原医院の償却資産について、その取得価格を調査し、それぞれの減価償却を行った「(株)大和工務店の工事内容について」、「医療機器の購入価額調」、「減価償却及び未償却残高調」とそれぞれ題する査察官調査書を示され、その内容を検討したところ、医療機器につきましては三星堂から購入したのがほとんどですので、私が三星堂の芹生課長に購入価格等を調べてもらって貴局に提出した書類に基づいて計算されていますし、建物は、これもほとんどの工事を大和工務店でさせておりましたし、これについても大和工務店の帳簿に基づいて計算されています。また、医院などの倉庫などに使用している建物も土地と建物を込みで購入したものですが、建物を坪四〇万円の評価で、建物代金一、〇〇〇万円と評価して頂いておりますので私の思いとも大体一致しています。車についても同様正確に見てもらっています。レントゲンについては今貴局から耐用年数表を見せてもらい、正当な耐用年数に訂正されておりますので、この調査書に記載の償却費や残高に間違いありません。」「架空、水増し経費を算出した「経費調」と題する査察官調査書を示され、その内容を検討したが、この査察官調査書の金額に間違いありません。」(昭和五六年一二月二四日付質問てん末書)、「査察官から調査額についての詳しい説明を聞き、私自身納得しましたので、調査書に従って修正申告をしており、本税についてはすでに全額納付しております。」(検察官に対する昭和五七年二月一八日付供述調書)、「国税局の認定した脱税額は、そのとおり間違いありません。個々の科目ごとの金額については、査察官から説明を受けております。」「収税官吏作成の「経費調」及び「架空計上等の経費調」と題する査察官調書についても国税局で確認しております。」「領収証のとれない現金で支払った経費につきまして妻と相談してメモ書きにして書き出し、国税局の係官に差し出しました。」「それ以外に、いわゆる簿外経費というものはありません。」(検察官に対する同年二月二三日付供述調書)などと述べているのみならず、原審公判廷においても、「費用はきっちりした数字は分かりませんが、月六〇〇万円か、七〇〇万円だったと思います。それについては大雑把な数字を述べただけですが、国税局の人がきっちり調べてくれていますので、国税局の調べは間違いないと思っています。」(原審第二四回公判期日)と述べており、また、被告人の妻藤原恭子も経費については、「国税局の方が領収書のないものでも、認められるものがあれば認めてあげます、と言うので、被告人と二人で考えて書き出した。それ以外には、現在まで経費となるものは思いつかない。」(検察官に対する供述調書及び原審第一一回公判期日)と述べていること、記録を検討しても、他に所論のような支出があったことをうかがうべき何らの証拠もないこと(なお、原審証人平井の経費についての供述中、検察官主張の額を越える額の経費があったと思う旨の供述部分は、同人の収集した不十分な資料を前提とするものであって、同人の右供述部分は、措信することができない。)等の諸点に徴すると、所論のように、原判決認定の諸経費の額を越える支出はなかったことが明らかであって、原判決の認定に誤りはなく、所論は採用することができない。

以上のとおりであって、その他弁護人のるる主張する点を考慮してみても、原判決の認定を左右するに足らず、原判決には所論のような事実誤認のかどはないから、論旨は理由がない。

控訴趣意中、量刑不当を主張について

論旨は、量刑不当を主張するので、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、被告人が昭和五三年度ないし五五年度の三年度にわたり、自由診療収入等の一部を除外し、あるいは架空仕入及び架空経費を計上するなどの不正行為により所得の一部を秘匿して、所得金額を過少にした虚偽の所得税確定申告書を提出し、三年度分の所得税合計一億九、二二一万五、九〇〇円を免れたという事案であって、その各犯行の動機、態様、罪質、殊に本件ほ脱税額は極めて高額で、正当税額に対するほ脱額の割合は、昭和五三年度八三パーセント、昭和五四年度七七パーセント、昭和五五年度七六パーセントにも及び、ほ脱率が高いこと、その他記録にあらわれた諸般の事情を考慮すると、被告人の刑責は軽視し難いものがあり、本件発覚後、被告人は、右各年度につき修正申告をした上、資産を処分し、銀行から借り入れるなどして本税分(市、県民税を含む)及び延滞税、過少申告加算税、重加算税等合計三億四、一七九万円余を全額納付したこと、本件については新聞報道されるなど、既に社会的制裁も受けていること、被告人は昭和四五年から小児科担当医として病院に勤務した後、昭和四九年一二月から開業医として小児医療に献身して来たもので、地域医療に貢献したところは大きいと認められること等、所論指摘の被告人にとって酌むべき諸事情を十分にしん酌しても、原判決の量刑(懲役一年六月、二年間執行猶予、罰金四、〇〇〇万円)はやむを得ず、これが不当に重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 木村幸男 裁判官 近藤道夫)

昭和六一年(う)第九〇四号

○控訴趣意書

所得税法違反 被告人 藤原弘久

右の者に対する頭書被告事件につき、昭和六一年三月二八日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から申立てた控訴の理由は左記の通りである。

昭和六一年一〇月一八日

右弁護人 森智弘

大阪高等裁判所第七刑事部 御中

第一 原審裁判所は、被告人並びに弁護人の、被告人は無罪である、との主張を排斥し、有罪の認定をなし、被告人に対し、懲役一年六月及び罰金四、〇〇〇万円、二年間右懲役刑の執行猶予の判決を言渡したが、原判決は、著しく採証法則に反し、証拠の評価を誤り、重大な事実を誤認し、ひいて法令の解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないものと思料する。

一 原審裁判所は、被告人並びに弁護人の、被告人は、有資格者であり顧問税理士である税理士平井新佐(以下平井と略称)を信頼し、被告人方の決算、税務事務一切を委任し、資料等も全て同税理士に託し、同税理士において適正な確定申告がなされているものと信じていたものであって、過少申告を同税理士に依頼したこともなく、又過少申告がなされていたことは全く知らなかったもので、被告人には本件所得税逋脱の犯意は全くない、との主張を合理的理由もなく一方的に排斥し、著しく信用性に欠ける平井証言及び任意性に欠け、その信用性に至っては到底これを認めることのできない被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書(以下てん末書)及び検察官に対する供述調書(以下検事調書)を鵜呑みにし、被告人の原審公判における真実の供述を無視し、事件の客観的事実関係についての実態の評価すら誤り、被告人に所得税逋脱の犯意を認定したが、右認定は、採証法則に反し、証拠の評価を誤り、重大な事実を誤認したもので、以下原判決の事実認定の重大な誤りを指摘する。

(一) 原審裁判所が被告人に所得税逋脱の犯意を認定したその判断理由は、原判示弁護人の主張に対する判断によると、(1)被告人の質問てん末書、検事調書について、いずれも供述の任意性に疑いがない、(2)被告人の捜査段階における供述調書によれば、捜査段階においては概ね平井証言と同趣旨の供述をしていたことが認められ、これらよりして、被告人は所得額が真実より低額で申告され、その結果納付すべき所得税額もまた低額になっていることを知り、且つこれを評価していたものと認めるのが相当、(3)平井は、税理士として大きな危険を冒してまで敢えて独断で本件過少申告に及ぶということは格別の事情が存しなければ通常は到底考えられず、一方、被告人は、近隣の開業医とあまり差のでることは好まず、できれば税金は安い方がよいという考えもあって、税理士に過少申告の指示を与えたと認められる、と云うにある。

右判断で注目すべきは、原判決は、原審々理で最も争点であった租税特別措置法二六条(社会保険診療報酬の所得計算の特例、以下措置法二六条と略称)と本件との関連、係わりについて何ら触れていないことである。

平井が何故過少申告に至ったのか、措置法二六条を抜きにしてはその真相を究明することはできず、又被告人の捜査段階における供述の任意性、信用性を検討するにしても、措置法二六条を前提に置いて洞察しなければ正確を期すことができないにも係わらず、原判決は全くこの点に判断を示さないばかりか、判断を避けたとすらみられるのである。

これは要するに、措置法二六条を前提において本件各証拠、特に被告人の捜査段階における供述、平井証言を洞察検証すると、原判決の右判断は余りに不合理且つ荒唐無稽となり、判断の体裁をなさなくなるからに外ならない。

そこで、本件と措置法二六条の係わりを先ず明らかにし、逐次原判示判断の誤りを検証する。

(二) 原判決が逋脱の犯意を認定するについて最もその証拠として評価したとみられるのは、昭和五六年六月三日付てん末書であるが、同てん末書によると「五五年分について、特別措置法を適用しても一億円ぐらいになる旨説明を受けた。各年度の所得金額について、税理士から一億以上になると聞きながら…五三年分も四二、七九五、〇〇〇円しか申告していないとのことですが、やはり所得を二分の一以下にしていると思います」等と記載されているが、五三年、五四年分については、措置法を適用すれば、という記載はどこにもない、若し之を記載するとすれば、五三年度措置法適用所得は、収入を二億位として単純計算で五、六〇〇万円位となり「所得を二分の一以下にしていると思う」とか「各年度税理士から所得は一億円以上になると聞いた」との供述記載が余りに実際に反し、矛盾に充ち、非常識な記載となり、犯意を認めさせる調書としての体裁をなさなくなることから記載できなかったものであり、専門家の税理士が所得は一億以上になると云った旨の記載に至っては、もはや取調官の創作であることは明らかで、強い嫌悪すら感ずると云う外なく更に検事調書(五七、二、二三付)に至っては「五三年度から収入が急に増え、二億円位だろうと思っていた、所得としては一億二、〇〇〇万位と考えていた」と真やかに記載されているけれども、被告人は医師であり、医師に税法上特例として措置法が存在することを知らぬ医師はいないのであり、被告人に限らず、ちなみに当時収入二億の一般開業医師に、所得はどれ位か問うたとすれば、単純に五、六〇〇万位―青色申告所得が措置法二六条適用額より高い場合は、措置法二六条適用所得額で申告することになるから、この金額を上まわることはない―と答えるか、二八%と答える筈であり右供述記載は、検察官の主観的意見を反映させたものであるに過ぎず、被告人の供述では決してなく、これら捜査段階における被告人の供述調書は、その信用性を著しく欠くものであって、到底断罪の資料とすることは許されない。

医師の念頭には、税について理解がなくとも、所得は収入の二八%という数字の単純な認識があり、又その程度の知識しかなく、収入約二億で所得は一億二、〇〇〇万という答えは、医師である限り思いも及ばない数字であり、明らかに取調官の創作である。

原判決の重大な誤りは先ずここにある。

即ち、原判決の判断の重大な誤りは、措置法二六条の存在を全く無視し、右の如き矛盾だらけで取調官の強引且つ実態をおよそ無視した押しつけ、創作が一目瞭然たるてん末書、検事調書の信用性を深く洞察せず、外形的逋脱金額の額に目を奪われ、偏見を抱き、右供述調書を短絡的に鵜呑みにし、疑わなかったばかりか、疑おうとしなかったことである。

右供述調書等に記載のある所得一億とか一億二、〇〇〇万という額は、措置法の存在を度外視した金額で、五三年度における実質所得即ち、容法の所得を検証する場合、その時点に立ち帰り、その時点において法の容認する実質所得は幾らであったかを確定し、これを前提にして全てを論じなければならないことは理の当然である。而して、五三年度の容法の実質事業所得金額は、後述のとおり、金五、九二一万二、五一五円である。

即ち、平井税理士が全く操作をなさず、税理士が把握した収入金を前提にした措置法二六条適用所得は右金額であり、この金額が税理士として将に申告さるべき所得金額だったのである。

従って、所得は、一億或いは一億二、〇〇〇万ということを前提にした如何なる評価・判断も、その前提が誤ったものであるから失当と云うに帰するのであり、要するに、平井原決算による実質所得金額は金五九、二一二、五一五円であり、平井が確定申告した所得金額は金四二、七九五、五九〇円であった、という事実を前提にして全てを検証しなければならないのに、原判決は敢えてこれを怠ったため重大な事実誤認を招来したと云うべきである。

(三) そこで、平井の本件青色申告とその基礎となる原決算の実態と関連を検証する。

1 被告人は、昭和四九年一二月六日、小児科・内科診療所を開設し、昭和四九年度分の確定申告については、被告人夫妻は税のことが全く判らず、妻恭子において、所属垂水区医師会に相談し、医師会担当者に書類を作成して貰い、医師会任せの納税をなしたが、開業以来被告人の小児医療に対する熱意と寝食を忘れた献身的治療に付近の市民の藤原診療所に対する信頼は深まり、日毎に患者は増え、被告人の診療業務は日増しに多忙を極めるに至り、その結果、診療報酬も増加していった。

被告人の義父杉本武男は、この現状を見て、経理も全く判らない娘夫婦のことを懸念し、又多忙な被告人が医業以外に経理のことまで気を配ることは出来ないだろうとの親心から、昭和五〇年夏ころ、杉本商店の顧問税理士で、元大蔵事務官の平井を被告人に紹介し、被告人は、義父の紹介する税理士を信頼し、経理・税務代理一切を委任し、以来平井は、被告人の顧問税理士となり、被告人は、毎月三万、決算申告時二〇万を支払い、平井に全幅の信頼を寄せて来た。

被告人は、かように平井税理士に決算・税務を委任したが、平井から確定申告の方法や税に関し、青色申告でなすのか、白色申告―医師の場合は、措置法二六条適用申告―でなすのか等、何の説明もなく、被告人夫妻は、青色、白色がどういうものか、その区分の異同も全く知らなかった。

その後、平井税理士事務所事務員久保田栄美子(以下久保田と略称)等が給与源泉の計算処理に来院し、同事務員の作成する計算書に基づいて指示される金額を妻が支払い、又振込通知書や領収証類も無造作に袋に入れたものを妻が右事務員に渡すというだけで、この間被告人夫妻は、平井や久保田から、こうした書類が必要であるとか、これはどうなっているのか等収支に関し尋ねられたり、助言されたりすることも一切なかった(一審被告人供述、証人藤原恭子証言)。

ところで、毎年申告時期になると医師会から確定申告に関する書類が封筒に入れ配布され、被告人はその頃来院する平井に之を封も切らずそのまま渡していた。

平井は、診療所に来ても雑談に終り、税に関する話などすることもなく、医師会配布書類を持ち帰るだけで、どのような計算になるといった説明はなく、その後は来院することもなく、三月一五日前、平井から被告人に電話で、この金額を納付するようにと税額だけの通知があるだけで、その指示された金額を妻が銀行振込するだけで、被告人は、確定申告書はもとより、申告決算書や事業概況書等申告に関する計算書類を見せられたこともなく、いわんや申告内容について平井と話し合ったこともなく、又確定申告書に署名・押印したこともなかった。

本件確定申告書に署名・押印したのは久保田である(証人久保田証言)。

納税後、二、三ケ月して平井事務所から確定申告書のコピーと思われる(表一枚)ものが送られて来ることはあったが、被告人は、数字を見ても判らず、別段気にもとめず、内容も見ぬまま診療所の机の引出等に無造作に入れていた。

ところが、昭和五五年度分の確定申告時期の直前である三月一三日ころ、平井は例年になく来院し、被告人に「大変忙しいのできちんとした計算が出来ないので概算だけで計算し、大体の数字を出すので取敢えず税金を納めてくれ」と云い、鞄から何か書類らしきものを取り出し、手に持って振るような身振りをしながら「毎晩徹夜でやってる」等と云うことであったが、被告人は、信頼する税理士の云うことであり、何の不信感も不安もなく、平井の指示する税額を納付し、例年どおり決算申告報酬二〇万を支払った(一審被告人供述)。

原判決は、何故平井がこの年度の申告に限って、この時期に殊更来院し、右の如き言動をなしたのか、而も、この年度の確定申告書だけ、作成者税理士の署名・押印を故意になさず、被告人の署名・押印を勝手に久保田にさせたのか、という重大な疑問について何ら判断を示していない。

この疑問に答えることが、本件の真相を判断する上で極めて重大な事柄であるのに、原判決がこれに触れることもなかったことは理由不備と云う外ない。

2 被告人が平井に委任した昭和五〇年度より昭和五三年度迄、措置法二六条によると法定標準経費率は七二パーセント、即ち所得率二八パーセントの時代である。

而して、開業医の殆どは、措置法適用申告であるのに、何故平井は、病床を擁する病院でもなく、小規模小児科診療所の被告人について、殊更青色申告をなし、又これを継続したのであろうか。平井は、「青色申告をしていても、青色申告による所得が標準率より上回った場合は、標準率によって申告すればいいという特典があるので一応税務署の要望する青色申請をした。五〇年度は収入金もあまり多くなかったので、経費率がさほど多くないとも思わなかった。五一年度の決算時点で収入が増え、経費はそれに比較して伸びなかった。措置法二六条でよかったのではないか―それはちょっとわかりません」(第八回公判調書)と、青色申請したのは、必要があってなしたことではなく、単に税務署の要望に添うためと証言する。

然し、それだけの理由ではなく、税理士として依頼され、通常の措置法二六条適用申告では、頼まれがいがない、格好がつかないという気持ちがあったと見るのが相当である。

ところが、青色申告であるにもかかわらず、その申告の基礎となる平井原決算(平井操作前の決算の意)を見ると、到底青色申告決算の態をなしていないのである。

これは、原判決も別の角度から認めるところである。

先ず、五三年度分の仮決算書も作成せず、五四、五五年度分については月別計算書もなく、更に青色申告代理において、税理士にとって最も重要な経費の把握が極めて不十分で、例を五三年度分にとるとして、この期は原仮決算書がないので、久保田作成の月別一覧表により原決算の実態を検討するしか方法がないが、之によると、売上原価科目の期首・期末たな卸高がなく、要するに、たな卸は全くしておらず、減価償却資産の把握もなされず、個々の経費科目をみても、国税局認定(原判決認定)の額より平井原決算の額の方が少ないものが目立つ、例えば、水道光熱費・通信費・接待交際費・消耗品費・減価償却費・外注工費・雑費等々であり、このことは五四、五五年度も概ね同様である。

この外、平井原決算は、普通預金の出金について、支払先不明のまま記帳処理をせず、事業主貸で片付けたり、領収証の中に経費となるものがあっても記帳しなかったり(久保田証言)、およそ依頼した側からすれば考えられない処理が散見され、このことについて、平井、久保田は、原決算に間違いないと証言する傍ら、国税局の認定額より少ない額を計上した科目について「つけ落ち」「わずかなことだから」と片付け、例えば、五四年度の福利厚生費等の欠落について「福利厚生費は一三八万位あったがつけ忘れた、私のミスです」と云うのである。

青色申告の場合、税理士として経費の適格且つ十分な把握計上こそ重要な課題であり、その複雑な計算処理が専門的知識と技術を要するからこそ確定申告義務者である事業主は税理士に依頼すると云って過言ではない。

かように、平井原決算は、当初より原決算そのものが好い加減なもので、著しく正確を欠き、青色申告とはいうものの、名ばかりでその基礎となる原決算は正確さを欠き、これを基に青色申告をするということ自体到底できる筈もないことであったことは原判決も認めるところである。

即ち、原審裁判所は、後記弁護人の主張に対する判断二経費の認定において、平井の原決算の信用性を否定し、これに関する平井や久保田の証言も排斥し、大蔵事務官作成の証明書、査察官調査書等より経費の認定をなしたことは、平井原決算が著しく正確さを欠き、これでは青色申告は不可能と認定、断じたことを意味する。

そうすると、税理士は、一応青色で申告する、そのため一応の資料はある程度そろえるが、正確な資料の把握、これに基づく適正な決算申告は元々考えていなかったと認定するのが証拠評価の当然な帰結といわざるを得ない。

3 右の如く、原決算そのものが、青色申告決算としての態をなしていない、ということの意味するところは、要するに、青色申告というものの、その内実は、措置法二六条や医師経営指標等を前提若しくは念頭においた適当な額の算出による青色申告、即ち、実際の収入金を前提にして、措置法の所得標準率で算出される所得を土台(ベース)にして、これより低い数字を適当に算出計上し、青色確定申告しようとする税理士の安易な態度があったからに外ならないと証拠評価するしかないのである。

右の如く解しなければ、原決算が前記の如く極めて不正確になされていたことの説明がつかない。

そこで、平井原決算に基づく措置法二六条適用所得と収入操作決算に基づく措置法適用所得及び確定申告所得を夫々対比し、その差額を検討し、それが意味するところを論証する。

先ず、昭和五三年度において、収入を二億と仮定し、措置法二六条適用所得を、自由診療収入や標準外注費を一応おいて単純計算すると、事業所得は五、六〇〇万ということになる。

猶、国税局認定の同年度の自由診療収入は四、六一六、八九八円(収入比率二・一五パーセント)、又標準外注費は二七、二七一、四三六円である。

ところで、同年度の平井原決算によると、収入金二〇六、七九三、七二二円で、これを前提として措置法二六条適用所得は五九、二一二、五一五円(非公表事業概況書)、平井収入操作後の収入金一七九、五一二、八〇二円、これを前提にした措置法二六条適用所得は五一、五〇三、六六五円(公表事業概況書)で、確定申告は、収入金一七九、五一二、八〇二円で、申告所得は四二、七九五、五九〇円(所得率二三・八パーセント)である。

平井が収入を操作する前と後の収入額を夫々前提にした措置法適用所得額は、前者が五九、二一二、五一五円、後者は五一、五〇三、六六五円で、その所得額の差は約七七〇万であり、又収入操作後の措置法適用所得額と確定申告所得の差は約七七〇万、更に原決算収入を基にした措置法適用所得と確定申告所得の差は約一五四〇万である。

要するに、二億という収入を前提にすると、その差は目立つ程のものでなく、ましてこれを税額に直すとその差はより狭まるのである。

このように三つの計算がなされ、先ず措置法二六条があり、操作は二段階、収入除外による措置法二六条、そして架空経費計上による青色申告、而もその減額数字は右の如くで、その計算土台に常に措置法二六条があることは右計算の教えるところである。

右計数の検討の結果判明するのは、確定申告所得と実質所得の差がある程度であれば、例えば修正可能な範囲であればという税理士の安易な判断の存在であり、換言すれば、平井は、被告人が医師であることから措置法でいけばこれ位になるのだからという安易な気持ちから出発したという評価である。ちなみに、五〇年度、五一年度の申告について、既に修正申告した形跡すらうかがわれる(原審証拠カード三八、差押てん末書符番六〇に修正申告の控とある)。

(控訴審において立証予定)

付言するに、平井の五三年度収入除外方法をみると、国保収入について、医業用事業概況書では、各月収入を点数表示し、合計欄で点数を10換算することとされ、一方税理士使用の事業概況書では、各月収入を円表示することになっている、そこで、後書の各月円表示すべきところを点数で表示し、総額欄を円に換算しなければ、点数がそのまま円となり、総額で一桁欠落するという方法がとられているが、これはまさかの場合、或いは修正する場合、所謂転記の単純ミスでとおるという判断が前提にあったものと推認される。

而して、平井税理士も原審公判において「あなたは修正申告でもすればことが足りるというふうに甘くお考えになっていませんでしたか―そういうこともあったと思います。そうです。」と証言している(第八回公判調書)。

以上の事実と経緯を洞察する時、その後の平井のとった処理は、次の如く判断される。

即ち、五三年度、五四年度の収入金はほぼ横ばいであったが、昭和五四年度措置法の所得標準率が四三パーセントと変更され、税理士は、実質収入がほぼ変動がないことから、前年度の公表決算額を大きく変えることもできず、なんとかなるだろうという安易な判断のもとに再び架空仕入れ操作による申告、ただ前年度よりやや申告所得を増額した申告をなしたが、更に、五五年度の所得標準率が四八パーセントになるに至って措置法適用実質所得と従来の方法による操作決算所得の差が益々大きくなり、しかも五五年一〇月ころ、須磨税務署の調査を知った税理士は、その後の事態を確知し、ここで適正申告すればそれ迄の過少申告の責任を問われることとなる、再び従来同様の操作決算をなし、この場合納税者の指示によるものとするため、従来の操作の延長上の処理をなすと同時に、申告書に作成税理士の署名・押印をなさなかった(税理士法三三条)とみるのが、全証拠評価の帰結というべきである。

このことは、五四年度の仮原決算書には収入金すら「201」とのみ記載する等極めて好い加減で、その上原事業概況計算もなしていないのに、五五年度に至るや、仮原決算も克明に記載され、而も原事業計算も作成されていることからも窺い知ることができよう。

敷えんするに、昭和五五年一〇月ころ、平井は須磨税務署より明細書の提出を求められ、被告人の妻に指示し、銀行残高証明書を取り寄せ、平井は之らを基に明細書を作成し、同税務署に提出したが、之を提出すれば調査が入ること、極めて重大な事態になることは専門家であれば直ちに予測できることであり、平井も「当然あやしむと思った」旨述べているのに、平井は、この重大な事態を被告人には何一つ説明すらしていない。

(控訴審において立証予定)

猶、被告人ら夫妻は、税理士は間違いのない申告をしていると信じており、財産を隠したりする理由も必要もなく、従って、隠蔽された財産は全くなかった。

かかる事態で税理士としてとる道は、過去の過少申告を認める前提に立って、措置法適用の適正申告をなすのが残された選択であろう。

然し、平井は、調査覚悟の従来通りの過少申告という道を選び、そして署名・押印を回避した。

4 以上の如き、決算の実態と確定申告の経緯を洞察・検討するとき、被告人に過少申告の認識はなく、曰んや平井に過少申告を依頼したこともないことは、証拠上明らかである。

原判決の判断の誤りは、本項で指摘・検証した本件と措置法との重大な係わりとこれに関連する事実関係について洞察しないばかりか、その判断すらなさず、そのため、被告人のてん末書、検事調書、平井証言等の任意性・信用性の評価を著しく誤る等、事件全体の証拠評価を誤ったことにある。

(四) 原判決は、税理士として、大きな危険を犯してまで独断で本件過少申告をするとは考えられない、被告人は近隣の開業医とあまり差のでることを好まなかったと判断し、従って、被告人が過少申告を指示したと認定しているけれども、右判断こそ、実態を無視し、偏見にとらわれた判断で、事実を誤認している。

1 原判決は、税理士として、大きな危険を犯してまで独断で過少申告するとは到底考えられない、と判断するが、然し、逆に、仮に過少申告を依頼・指示されたとしても、これを断れない理由もなく、断ればすむことである。平井自身「別にこれという理由はない」と証言しているのである。

税理士であれば、危険な依頼は断る筈であり、断ることこそ税理士としての職業倫理である。

しかも、税理士は、税理士法三六条(罰則五八条)によって、かかる徴税を免れることの相談・指示に応じてはならない、と固く禁じられており、税理士たるものが、単に一依頼者に過ぎない納税者から頼まれただけで、特段の理由もなく、かかる危険を犯すことは到底あり得ないことである。

これ迄評価した如く、本件過少申告は、被告人に頼まれた訳でもなく、昭和五三、五四年度分は税理士の甘い判断から危険を感じることなく安易な判断でなした過少申告であり、五五年度分はこの時期に至って危険を感じた税理士の前掲(三)の3記載の理由と経緯で、責任回避の意図からなされた過少申告とみるのが正当である。

要するに、平井は、五五年度分に至って初めて危険を感じたもので、それ迄は全く危険を感じていなかったのである。

2 更に、原判決の、被告人は近隣の開業医との差の出ることを好まなかった、との判断は、著しく信用性に欠ける被告人のてん末書・検事調書における供述をその判断の資料とするものである。そこで、右判断が如何に証拠の評価を誤ったものであるかを検証する。

先ず、右判断の資料とされる検事調書(五七、二、二三付)によると「五三年度所得は一億二、〇〇〇万と考えていた。垂水区で所得一位は一億位、二位は八、〇〇〇万位、三位は六、〇〇〇万位で、いきなり一-二位にランクされれば何を云われるかわからないと思った。そこで四、五千万位の所得で申告して貰いたいと頼んだ」旨の供述がある。

然し、平井が何の操作もしないで申告してさえいれば、所得は五、九〇〇万であって、一億二、〇〇〇万にはほど遠い金額であり、医師会で一-二位になれる訳もなく、右供述は明らかに取調官の誘導による創作でしかない。

更に、てん末書(五六、六、三付)によると「税理士から私の所得は一億円以上になると聞いた。垂水区で一位の医師の所得が一億位、二位が八千万位、三位が六千万位なので、その下のランクになるよう毎年の所得を四、五千万見当少なくしてもらうよう税理士に依頼した」との供述であるが、これ又所得は一億以上ということを前提にしているばかりか、五三年度の前記実質所得は五、九〇〇万であり、「その下のランクになるよう」ということ自体誠におかしなことで、しかも、そのランクも好い加減で、当時被告人は、このランクすら知らないのであり、これらは、査察着手前調査で全てを熟知する査察官から所得はこうなっている等と、被告人の知らないことをあれこれ高圧的に云われ、どうしてか、と詰問され、被告人としては答えに窮し、その時は未だ事態の認識もなく、平井税理士を庇う気持ちもあり、ともかく査察官のヒントをまじえた詰問に辻褄を合わせるため適当なうけ答えをしたことが右てん末書に記載されたものである。

かように、質問てん末書、検事調書における逋脱の認識に関する供述、税理士との関係に関する供述部分は、何ら真実を伝えるものでなく、取調官の誘導による創作であり、虚偽である。

猶、被告人がクリニックマガジンを見て所得のランクを知ったのは、昭和五五年一〇月ころ、兵東薬販のセールスが之を持参した時で、それは五四年度分の高額所得者一覧である。

以上の如く、査察・検察段階における供述調書は、ありもしないことを前提にしたものばかりで、その供述の信用性は著しく欠けるのであり、これを判断資料とした原判決の認定は、明らかに証拠の評価を誤ったものである。

被告人は過少申告を平井に指示していない。

(五) 原判決が証拠として引用する平井・久保田の各証言は、いずれも信用性がない。

前記一乃至四で評価したところは、全て平井証言・久保田証言に信用性がないことの論証でもある。

ところが、原審において検察官は、過少申告は五二年度から行なっていた、と主張されている。

仮にそうであったとして、では五二年度の収入や措置法二六条適用所得はどういう状態にあり、平井税理士はどう処理したのであろうか、この年度に関する平井の証言は極めて曖昧である。

ところが、一年違いの五三年度のことになると一変し、証言は異状に詳細になる。

平井は「五三年度、所得を四、二〇〇万前後で申告してくれということです。須磨区の医師は、トップぐらいになるといろいろな事情があって困るということだった訳です」等と証言するが、では五二年度はどうであったのか、どう云われたというのであろうか、五二年度全国医師高額所得者一覧(クリニックマガジン、弁一四号証)によると、須磨区では、一億を超える所得医師二名、七千万以上一名、六千万以上二名、五千万以上二名で、トップは当時の標準率で既に一億を超えているばかりか、そこに被告人の氏名はなく、被告人は、その当時所得のランク等全く知らず、又「四、二〇〇万前後」と具体的な所得の数字を所得という概念すら理解しない被告人が云える訳もなく、更に四、二〇〇万という数字の出てくる根拠もない。

更に平井証人は、右証言に関連して「被告人方に所得計算書、月別計算表、決算書等を持参し、説明した」旨証言するけれども、右の書類自体元々無い物が多いばかりか、あってもずさんなもので、かかる書類を被告人方に持参したこともなく、曰んや被告人に説明したこともない。

一方、証人久保田の証言であるが、同人は平井税理士に雇われる使用人で、雇主に不利になる証言はできない立場にあり、しかも、その証言内容も極めて曖昧且つ不自然なもので到底信用性はない。

以上の如くで、平井証言は、客観的事実に反するばかりか、その証言内容に多くの矛盾や不合理・不自然さがあり、自己弁護・責任回避に終始し、真実を語るものではなく、その信用性はなく、到底断罪の資料とはなし得ないものである。

現に、原判決も経費に関する認定において、平井らの証言の信用性を明らかに否定しているのである。

(六) 原判決は、有罪認定の証拠として、被告人の査察官に対する質問てん末書及び検事調書並びに藤原恭子の検事調書を掲げているが、以下述べる如く、右てん末書・検事調書は任意性・特信性を欠くものであって証拠能力はなく、これを有罪認定の証拠とした原判決には、採証法則を誤った違法があり、原判決には訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、この点よりも破棄を免れない。

1 被告人の質問てん末書・検事調書の任意性・信用性のないことの論証。

(1) 被告人が大阪国税局より脱税容疑で査察を受けたのは昭和五六年六月三日午前八時ころである。

被告人にとっては将に青天の霹靂で、その狼狽と驚愕は言語に絶し、何がどうなったのか、何故、何のため、と全く状況を理解することもできぬまま第一回目の質問てん末書が作成されたが、その後被告人は、次第に事態を認識するに至って真実を明らかにし、国税当局者に真相を理解して貰う必要のあることに気付き、昭和五六年一一月二二日大阪国税局における取調べに際し、被告人は事実を明らかにしようと努め真実を訴えたが、被告人の真実の主張はある程度録取されたものの、肝心な部分で被告人の供述と異なる事実がわい曲された調書が作成された。それが昭和五六年一一月二二日付てん末書である。

ところが、昭和五六年一二月二四日大阪国税局における取調べにおいて、被告人は脱税の認識のみならず、平井税理士との関係等について、恰も被告人が税理士に具体的に脱税を依頼したかの如き途方もない虚偽の供述をなし、翌年二月、検察官の二度に亘る取調べに際しても同趣旨の供述がなされた。

(2) 大蔵事務官に対する虚偽の自白について

ところで、六月三日、査察官多数が被告人方に来居した際、被告人は、何故かかる調査を受けるのか事態の認識に欠けたばかりか、査察の意味するもの、査察の結果刑事々件に発展するという理解も認識も全くなく、ただ診療所へ行くことも禁じられ、患者を看ることも許されないといった尋常でない税務調査に驚愕・狼狽する状況下で、白色申告と青色申告の区別すら判らず、且つ又所得とは何か、という所得概念の理解すらない、いわば税に全く無知の被告人は、ある重要なことを詰問されても、それに対する答え如何による利益・不利益の判断すらつかないまま、事実に反する不利益な答えをする等、自己を防禦する能力も、そうした気持ちすらないまま査察官の高圧的な誘導に迎合した。

被告人としては、ともかくこの異状な調査から一刻も早く解放され、患者を看たいという一心であり、真実を述べるという気力もなく、又真実を述べなければどのような結果が待っているかという判断もつかない状況であり、このような状況と心境の中で、査察官の誘導に迎合して作成されたのが六月三日付質問てん末書である。

かようにして、右調書における供述は真実を伝えるものでなく逋脱認識に関する供述、税理士との関係等に関する供述部分は虚偽であると云わねばならない。

右査察を受けた後、被告人は、平井税理士の態度から次第に同税理士に疑惑を抱き、遂には同税理士を解任し、新たに宮尾税理士に依頼する等したが、これらの経緯の中にあって、事の重大さにもおぼろげながら感知するようになり、査察官に真実を述べなければと思うに至り、昭和五六年一一月二二日大阪国税局に出頭した際、査察官に対し被告人は真実を述べたが、被告人の真実の主張はある程度録取されたものの、なお肝心な部分で被告人の主張・供述と異なった記載がなされた、それが一一月二二日付てん末書である。

ところが、次に国税局に出頭する昭和五六年一二月二四日の前日ころに至って、意外なことから事情は一変する。

その経緯や被告人の心境について、被告人は原審公判延において次の如く供述している(第二六回公判調書)。即ち「取調べの前日か、前々日の夕方、宮尾先生が非常に悲壮な感じで私方へこられ、税理士の責任を追求せず、あんたの責任だけでこの問題を早く解決した方がいい、このままの状態でいくと大きな病院の院長みたいになる。逮捕されたらいかん、このままの状態でいくなら私はこの問題から手を引かして貰う、と云って慌しく帰られた。私は、若し逮捕でもされるようなことになったら、中学受験を前にした長男、ノイローゼ気味になっている妻をかかえ、家族は崩れてしまうことは勿論のこと、診療面も当然迷惑をかけ、診療所もどうなるか判らない、と苦しみ悩んだ末、宮尾先生の助言に従って、私の責任ということで解決することが一番いい方法だろうと断腸の思いで決心した。そして、その晩宮尾先生の自宅に伺い、先生の云われるようにしますので宜しくお願いします、と云った。その翌日ころ大阪国税局に宮尾先生に伴われて出頭し、査察官の云われることにはいはいと答えた」と云うことである。

右を要するに、一一月二二日の査察官の取調べに当たって、真実を述べよう、真実を述べなければいけないと思い、査察官に真実を訴えようと努力した被告人であったが、右のような事態に遭遇し、家族を思い、患者を思い、逮捕という不安におののき逮捕を免れることが出来るのなら、嘘でも全て被告人は判っており、税理士の責任ではないと虚偽の供述をするしかないと思いつめ、査察官の誘導に迎合しようと決心した、とみられるのである。

而して、査察官の云われるまま、これに迎合するしかないという心境になって、査察官の誘導に迎合して作成されたのが一二月二四日付質問てん末書(検甲七〇号)である。

その質問てん末書を見ると、余りにして知り過ぎたことになっており、前出の一一月二二日付てん末書と対比しても、その供述内容は極端に認識が強調され、一見して不自然・不合理であり、如何に査察官に云われるまま「そうですそうです」と答え迎合して作成されたものであるか窺い知ることができる。

敷えんすると、五七年一月一四日付てん末書(検甲七一号)も同様である。

(3) 検察官に対する虚偽の自白について

続いて、検事調書であるが、被告人は検事調べについて、その心境と経緯を次のように原審公判で供述している。即ち「検察庁へ行く時にも宮尾税理士や国税の人から、国税での供述と矛盾のないように検察庁へ行って話をすれば、検察庁の取調べも一回か二回で早く済んでしまうと云われていたので、全てはいはいと答えようという気持ちで検察庁へ行った。二月一八日午後検察庁へ出頭し、検事の取調べを受けたが、筋書が出来ていて、質問事項らしいものを半紙に書いていて質問され、「はいはい」と答えたが、どうしてもイエスと云えない処があると突如検事の表情が変わり、近藤病院の例をとりあげられる等され、それ以上主張できず、云われる通りハイハイと答えた。二月二三日の検事取調べも同様であった」旨供述する。即ち、被告人は検察官の取調べに際し、既に真実を主張すれば再び逮捕という事態になることを怖れ、国税同様の嘘を繰り返すしかないとの心理状況にあって取調べられ、検事の誘導に迎合して行ったもので、査察官の取調べの際における心理的影響は継続している。かくして作成されたのが五七年二月一八日付検事調書(検甲七二号)、二月二三日付検事調書(検甲七三号)である。

(4) 以上の如く、任意性を争い、却下を求め採用決定に異義を申し立てた質問てん末書、検事調書は、いずれもその内容は明らかに虚偽であり、而もそれは取調官の誘導によって誘引されたものである。

誘導尋問等の誘引的方法による自白の証拠能力については、その任意性はもっぱら虚偽排除の観点から論ずるのが至当である。而して、右自白調書は、その内容明らかに虚偽であり、その虚偽供述の経緯と心理的側面を些細に検証するとき、右自白調書は不任意の自白として排除されるべきである。

敷えんするに、既に論証した如く、右てん末書、検事調書に信用性のないことは敢えて云うまでもない。

2 藤原恭子の検察官に対する供述調書の特信性・任意性を欠くことの論証

藤原恭子は、平和で平凡な医師の妻であるところ、全く思いもよらない本件査察で夫と共に査察官の厳しい取調べ、追及に遇い、全く予期せぬ事態に遭遇して、驚愕の余り極度の不安感に襲われ不眠症に悩まされて憔悴し、精神的にも肉体的にも疲労困憊した中で査察官に引続く検察官の取調べを受け、査察段階より共犯者呼ばわりされ、夫が逮捕されるかも知れないという不安、若し逮捕されると多くの患者はどうなるのだろうという危惧感に竒まれ、検察官より「あんたは知ってたんじゃないか。そんな常識からして考えただろう」等と恫喝・誘導され、右の如き精神状態の中でただ検察官に対する恐怖感から誘導に迎合したものであって、かかる状況の下で作成された検事調書に特信性はなく、曰んや信用性はない。

以上要するに、被告人に過少申告の認識はなく、曰んや平井に過少申告を依頼したことのないことは明らかであり、被告人には所得税逋脱の犯意はなく、無罪である。

二 原判決は、弁護人の主張に対する判断二において、検察官の主張する経費に関する主張金額は、いずれも相当である旨認定しているけれども、右認定は、以下述べる如く証拠の評価を誤り、事実を誤認したものである。

即ち、本件三期における各勘定科目の経費支出額の推移と動向及び平井原決算を総合的に検討するとき、次に指摘する支出の存在が認められる。

平井原決算の不正確さは、実際支出された経費を十分把握せず経費の計上もれをなしたことにあり、原決算の中には、平井らが手抜きせず実際の支出に近い数字を計上した勘定科目のあることは否定できない。而して原審において、平井証人らは次の勘定科目の支出額について、支出があったことを裏付ける証言をしている。

即ち、

1 接待交際費について、実際の支出額は五四年度四、四四八、七六七円、五五年度四、八八五、四一五円であること、五三年度も右両年度と大差ない約四五〇万前後の支出がなされたこと、

2 減価償却費について、五五年度の償却費は五、七八二、〇八五円であり、又五三年度の償却費も、他年度の償却費との比較からして少なくとも四〇〇万乃至五〇〇万の償却費があるとみるべきであること、

3 福利厚生費について、事業の実態からして、局認定額は余りに低額に過ぎ、実際の支出額は、五三年度一、三八三、三五一円で、五四、五五年度各期の支出額もほぼ同程度の各期一三〇万程度の支出がなされておること、

4 諸会費支出について、実際の支出額は、五三年度一、六五七、一六〇円、五四年度三、二〇八、三九〇円、五五年度三、九〇九、七二〇円であること、

5 新聞図書費支出について、実際の支出額は、五三年度一、二六八、五〇〇円であり、五四、五五年度各期においても一〇〇万以上の支出があるとみられること、

である。

平井原決算の計算資料である書類の中には、保存不十分のため、既に散逸したものもあり、その科目については、原決算計上額に頼らざるを得ないことになる。

要するに、原判決の認定資料である決算関係書類等だけでは正確な支出額の認定はできない筈である。

かかる観点より、右指摘の支出額を肯認することこそ合理的であり、これを否定した原判決の認定は、証拠の評価を誤ったものと云わざるを得ない。

第二 原審裁判所は、被告人に対し、懲役一年六月、罰金四、〇〇〇万円、懲役刑の執行猶予二年の判決を言渡したが、右判決は、以下述べる諸般の情状に照らし、量刑著しく重きに失し、不当であるから到底破棄を免れないと思料する。

一 第一の一で詳論した如く、被告人は無罪であり、原判決は到底破棄を免れないと固く信じるものであるが、仮に第一の一の主張が認められず、排斥されるに至ったとしても、以下述べる諸事情は、いずれも被告人にとって有利な事情として考慮さるべきものである。

当審における認定が如何なる認定になるにせよ、被告人が税に無知なるが故に資格を有する税理士を信じ、そして自己の経理・税務の全てを依頼し、納税に関する全てを託したことは紛れもない事実であり、この事実は、量刑について十分考慮さるべきである。

二 被告人は、医師を志し、大阪医科大学に学び、特に小児医療に深い関心と熱意を抱き、佐野病院勤務医を経て開業して以来、小児医療に対する寝食を忘れた手厚い治療に努め、多くの病に苦しむ子供達が被告人を慕い、特に小児喘息に苦しむ子供達にとって、被告人は欠くことのできない医師なのである。

三 被告人は、本件により新聞報道される等、既に社会的制裁を受け、被告人のみならず、家族全員が査察後苦痛の日々を余儀なくされて来た。

その間、被告人は多額の重加算税等を借金迄して全てを支払っている。

四 被告人は、この苦痛と不安の中で、それでも小児医療に献身的に打ち込み、被告人を慕う患者は今も後をたたない。

かかる現実、事業の経緯等を洞察するとき、被告人に対し、懲役刑を選択することは、余りに過酷であると云わねばならない。

以上の如き諸般の情状を考慮するとき、仮に有罪であるとしても、被告人に対し、懲役刑と罰金刑を併科し、懲役一年六月(猶予二年)、罰金四、〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、著しく重きに失し不当である。

よって原判決を破棄の上、更に適正な裁判を求めるため本件控訴に及んだ次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例